【水前寺公園】補足

玄宅和尚(げんたくおしょう)

細川忠利に招かれた豊前羅漢寺の禅僧。成趣園に水前寺(現・玄宅寺)を建てました。


また、病弱であった忠利公に、後に熊本の郷土料理となる「辛子蓮根」を薦めた人物でもあります。


 



薪能(たきぎのう)

平安時代に奈良県興福寺で行われたのが起源。


文字通り「薪」を奉納するための儀式。水前寺公園内の出水神社により開催される薪能は、全国でも5番目に古く、毎年8月第一土曜日夕刻より行われます。


 



武田流騎射流鏑馬(たけだりゅうきしゃやぶさめ)

流鏑馬(やぶさめ)とは、疾走する馬の上から的に向けて鏑矢を射る弓術。儀式や武芸の一環として行われます。


直線120間(約218メートル)の走路の片側三ヵ所に設けた的を射ます。


文徳天皇の皇子が始まりとされ源家7代を経て武田、小笠原家に伝えられます。


武田流は武田家最後である信直から姻戚関係にある細川家初代・藤孝(幽斎)、2代・忠興、3代・忠利へと継承され、更に、忠利からは1632年に肥後に入国したのち、家臣の竹原小左衛門(市蔵)惟成に伝えられ現在に至ります。細川流騎射流鏑馬ともいいます。


 



陶淵明(とうえんめい)

陶淵明(365年~427年)は、中国六朝時代の東晋末から南朝宋にかけて活躍した漢詩人。出身は潯陽柴桑(現・江西省九江市)。


理想郷を意味する桃源郷の語源となる「桃花源の記」の筆者でもあります。


 



東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)

江戸時代になると江戸と京とを結ぶ東海道は特に整備されるようになります。それは約530kmにもおよび当時の日本において最も主要な街道として利用されました。


そんな東海道にある53の宿場を「東海道五十三次」と呼びます。


 



普請奉行(ぶしんぶぎょう)

土木工事をうけもつ役所の長官。


 



豊前羅漢寺(ぶぜんらかんじ)

大分県中津市本耶馬渓町にある曹洞宗の寺院にして日本全国にある羅漢寺の総本山。


羅漢山の中腹にある無数の洞窟を活用し、山門や本堂を埋め込むようにして配置しています。


洞窟内部には3700体以上もの石仏が安置されているそうです。


 



古市宗庵(ふるいちそうあん)

千利休の娘婿・円乗坊宗円から利休の茶法を受け継いだ人物。寛永2年(1625年)細川忠利に藩の茶頭として召し抱えられます。


細川家が肥後に転封となった際、一緒についていき、その茶法を肥後に伝えます。


のちに、小堀家、古田家とともに「肥後古流三家」と称し、代々利休直伝の茶法を守り伝えていきます。


現在、武田家と小堀家がその伝統を受け継ぎ、利休以来の古風な茶の湯を伝えています。