水前寺公園について

観光地

鷺がいます水前寺公園は熊本県熊本市にある大名庭園です。熊本城とともに、熊本を代表する観光地として、毎年多くの観光客が訪れています。

面積は約73,000平方メートル。中央の池の面積は約10,000平方メートル。阿蘇の伏流水が常に湧きあがり、冬でも池が凍ることはありません。

桃山式の回遊庭園で、富士山に見立てた築山や浮石、芝生、松などの植木は東海道五十三次補足)の景勝を模したといわれ、四季折々の美しさは訪れた人々を楽しませています。


 



水前寺

水前寺公園は、熊本藩初代藩主・細川忠利が1636年(寛永13年)頃、「国府の御茶屋」として築かれたのがはじまりです。


当初は、忠利と当時の細川藩茶頭である初代・古市宗庵補足)の指図により造られた露地と、草庵風の茶室・酔月亭だけで、現在のような大規模な庭園は造られていませんでした。


その後、忠利はここに豊前羅漢寺補足)の僧・玄宅補足)を招いて寺を建立しました。そして、玄宅が「水前寺」と名付け、御茶屋は水前寺の所有となり、「水前寺御茶屋」と呼ばれるようになりました。


しかし、寛文5年(665年)頃、茶屋を所有していた「水前寺」は廃寺となり、僧・玄宅も豊州に帰ります。(このとき、寺領と御茶屋は藩所有となります)


 



成趣園

寛文10年(1670年)、肥後3代目藩主・細川綱利により、「水前寺御茶屋」に対して大規模な造庭が行われます。
鯉もいます
普請奉行(補足)に元田八右衛門があたり、茶道頭・萱野甚斎、2代目・古市宗庵の指導のもと、泉水や富士山を模した築山などが造られ、現在とほぼ同じ規模の庭園が翌年に完成しました。


完成の際、名称を現在の水前寺公園の正式名称でもある「水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)」と名付けました。


この「成趣園」の名の由来は、細川家文書「新撰御家譜原本」によると、綱利の時代、陶淵明補足)の詩「帰去来辞」のこの一説にちなんだものであるとされています。
         
綱利在国之年屡々来遊嘗テ拠二陶潜ヲ  日二渉以  ス  ス之辞名 成趣園


 



風光明媚

この「水前寺成趣園」。今でこそ回遊式の庭園となっていますが、造られた当時は御茶屋・酔月亭(現・古今伝授の間の位置)から眺めるように設計されていたようで、ここから成趣園全体の風光明媚な景色が一様に見渡せます。


3代藩主・綱利は、水前寺成趣園について自ら十景を選んでいます。


「肥後国誌」綱利君自筆二題シ給フト云
   
   阿蘇白煙、龍田紅葉、瀬田山雪、国分晩鐘、前林梅花
   飯田夕陽、岩泉清流、健宮杉風、水隈乱蛍、松間新月


また、綱利の次の藩主、宣紀(のぶのり)も正徳2年(1712年)に水前寺成趣園について十景を選んでいます。
  
   阿蘇白煙、飯田暮雪、健常暗嵐、国分晩鐘、前林梅花
   江津帰帆、碧泉清流、水隈蛍火、松間新月、沙取夜雨


 

 



現在

歴代の藩主たちに愛された、この優美な趣きにして清冽な清水の湧く庭園は、西南の役により一時的に荒廃します。


しかし「出水神社」が移設され、「古今伝授の間」が御茶屋・酔月亭跡に移築(現在、古今伝授の間東側の泉水池内に、当時酔月亭の柱に使われた礎石が残っています)。


大正14年(1925年)に通称を「水前寺公園」として一般に公開されます。そして、昭和4年(1929年)には国の名勝・史跡に指定されました。


現在、水前寺公園では、毎年8月第一土曜日夕刻になると細川家歴代を祀るため、出水神社夏祭りの御神事として薪能補足)が行われます。また、毎年春秋例大祭の奉納行事として、春は4月24日前後の休日、秋は10月17日に、武田流騎射流鏑馬(補足)が催されます。