細川家の肥後入封2 ~加藤家改易~

寛永9年(1632年)、加藤家2代・忠広の長男・光広の名前と花押(署名の代わりに使われる印)を記した、謀反をほのめかす書状が発見され、忠広は江戸に呼び出されます。


何度か取り調べを受け、5月29日。処分が決定しました。


加藤家は一万石を与えられ、出羽庄内(現・山形県)に配流となり藩主の酒井家に世話になります。


承応2年(1653年)、忠広は死去。子孫も次々と自害し加藤家は滅びます。


この改易の裏には、豊臣家寄りであった加藤家に徳川幕府が難癖をつけた、など色々な説がありますが、真相はわからずじまいです。


 

古今伝授の間 観光ガイド:熊本県重要文化財@水前寺公園トップへ