細川家の肥後入封1 ~名君の死後~

慶長16年(1611年)、熊本を治めていた加藤清正補足)が死去します。


次男である忠広(ただひろ)が跡目を継ぎますが、忠広はまだ十代になったばかりと幼く、徳川幕府より派遣された藤堂高虎を中心とする5人の家老による合議制によって政治は行われました。


幼い忠広に人心掌握など望むべくもなく、家臣同士は対立し政治は乱れます。


 

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