洗礼を受ける
天正15年、豊臣秀吉による「バテレン追放令」が発令されました。
にもかかわらず、玉は侍女の清原枝賢(補足)の娘・清原マリア(補足)による洗礼を受け、「恩寵」を意味する「ガラシャ」の名を与えられました。
ガラシャはしばらくの間、夫・忠興に自分がキリシタンであることを隠していました。
しかし大坂にある細川邸内に孤児院を造ってはさすがにばれてしまい、忠興は怒ります。
さらに自分の子供である興秋も洗礼を受けていることを知り、忠興は乳母と侍女たちを罰し、ガラシャには改宗を迫ります。それでもガラシャの意志は揺るぐことはなく、忠興は困惑したといいます。