成趣園
寛文10年(1670年)、肥後3代目藩主・細川綱利により、「水前寺御茶屋」に対して大規模な造庭が行われます。
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普請奉行(補足)に元田八右衛門があたり、茶道頭・萱野甚斎、2代目・古市宗庵の指導のもと、泉水や富士山を模した築山などが造られ、現在とほぼ同じ規模の庭園が翌年に完成しました。
完成の際、名称を現在の水前寺公園の正式名称でもある「水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)」と名付けました。
この「成趣園」の名の由来は、細川家文書「新撰御家譜原本」によると、綱利の時代、陶淵明(補足)の詩「帰去来辞」のこの一説にちなんだものであるとされています。
綱利在国之年屡々来遊嘗テ拠二陶潜ヲ 園 日二渉以 成 ス 趣 ス之辞名 成趣園