開城
後陽成天皇は細川幽斎の身を案じるあまり、ついに直接田辺に向けて勅使を派遣します。
勅使は権大納言・烏丸光広。
中院通勝、前田茂勝ら(使者について異説あり)を従え、9月3日に田辺へ到着しました。
まず小野木重勝らに「城の囲みを解くように」と命じ、囲みを解かせたあと城内に入り幽斎を説得。ついに幽斎は城を明け渡す決意をします。
こうして、50日以上の長期間にわたる篭城は幕を下ろします。
ちなみに明け渡したのは9月13日とも18日ともいわれますが、15,000もの大軍を関ヶ原に向かわせず田辺にひきつけていたのは事実です。
18日にはすでに西軍は大敗しており、勝利に貢献したとして徳川家康からは恩賞の打診がありました。そこで幽斎は、篭城中に自分たちと志を通じた敵に対し情けをかけるように進言したとのことです。