細川忠興

さて、父・幽斎の篭城のあと、城を失い、妻ガラシャを失った細川忠興は、元来の気性の荒さも手伝って激情に駆られていました。

 
関ヶ原より帰還した忠興は、直ちに徳川家康から亀山城と福知山城の攻撃許可をとります。亀山城攻略へと向かった忠興は幽斎と再開を果たします。忠興は幽斎の説得もあって、何とか前田茂勝に対する怒りを静めます。


その後、福知山城に攻め込みますがなかなか落とすことはできず、長期戦になります。そんなとき、家康の意を受けた使者が来て、両軍の仲裁に入ります。結果、小野木重勝が出家することで命を助けるということになり重勝は剃髪、亀山の寿仙院に入ります。


しかしそれでは怒りを抑えることのできなかった忠興は、すぐさま重勝に対し切腹を命じました。


幽斎は京に上り、しばらく吉田の屋敷で静養します。


12月上旬、忠興は丹後から豊前へ領地替えとなります。


忠興にとって丹後は思い出深い土地であり、丹後を発つ際、天橋立を見てこのような歌を残しました。


    立別れ松に名残はおしけれと思い切れとの天の橋立


 

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