足利義昭
永禄8年(1565年)、13代将軍・義輝が三好長慶の軍に京都御所(補足)を攻められ、自害します。
細川藤孝は、興福寺(奈良県)に幽閉されていた義輝の弟・覚慶を救い出し、彼を将軍にするために各地を転々とします。仏門に入っていた覚慶は還俗し、義秋(のち義昭)と名を改めます。
永禄10年(1567年)越前(現・福井県)の大名・朝倉義景を頼り、義昭、藤孝らは彼の居城・一乗谷城に入ります。藤孝はここで明智光秀(補足)と知り合い、彼の手引きにより織田信長を頼ることになります。
信長の助けを得て、義昭は三好・松永の勢力を都から除き、15代将軍となります。
それからしばらく、藤孝は「姉川の戦い」や「石山合戦」など信長に助勢し、戦いに明け暮れる日々が続きます。
その途中、藤孝は三条西実枝(さねき)より一時預かりとして「古今伝授」を受けます。
天正元年(1573年)になると、義昭と信長の関係は悪化し、義昭は武田信玄に信長の討伐を頼みます。それを藤孝が諌めますが、逆に義昭に疎まれるようになります。
藤孝はその後、自分の城に蟄居するようになり、義昭が信長に京を追放されても義昭の味方をすることはありませんでした。