細川藤孝
天文15年(1546年)、将軍・義晴の息子が元服し、「義藤」と名乗ります(のちの13代将軍・義輝)。このとき萬吉は、義藤より一字賜い「細川与一郎藤孝」と名乗るようになります。
この頃から将軍親子は権力争いに巻き込まれ、細川親子と一緒に各地を転々とします。
天文19年(1550年)、将軍・義晴が亡くなり義藤が13代将軍となります。
さらに天文23年(1555年)には藤孝の養父・元常が亡くなり、藤孝が細川家の後を継ぎます。
元常の時代、阿波、讃岐、伊予、土佐、播磨、備前、和泉、摂津などかなりの広範囲を治めていました。しかし三好方の諸将に横領され、残ったのは山城国(現・京都南部)の青(勝)龍寺付近のわずか3000貫。一国の主として前途多難な幕開けでした。