朝廷の介入
細川幽斎の危機は後陽成天皇の耳にも入り、ついに天皇から直接勅使が派遣されることになりました。
ここまできて幽斎はようやく和議を受け入れます。篭城期間は50日以上に及びました。
相手方の15,000もの軍勢は、結果的にここで足止めをされていた形になりました。そしてそのまま関ヶ原本戦に到着することもないまま、本陣は大敗という結果に終わりました。
ちなみに、朝廷が武士同士の戦に介入することは極めて珍しく、後にも先にもこの一件のみであったということです。
その後、智仁親王は資料の書写などの自身の努力によって、幽斎の古今伝授をほぼ完全に受け継ぎます。そして親王自身は甥の後水尾天皇に対して古今伝授を行い、古今伝授は御所伝授という形で宮中に入っていきます。