細川幽斎の危機

7月になると、石田三成の命をうけた丹波福知山城主・小野木重勝が、大軍を率いて幽斎の所領である丹後国(現・京都府舞鶴)に攻め込んできます。


重勝の軍勢15,000に対し、幽斎の軍勢はわずか500。幽斎は、自らの田辺城で篭城を余儀なくされました。


死を覚悟した幽斎は、智仁親王に対しいまだ相伝途中であるにも関わらず、古今伝授関係の書類を収めた箱と、相伝終了を示す古今伝授証明状を送ります。非常事態ゆえに、古今伝授に関する資料をすべて譲り、親王がそれらをまとめあげることによって相伝は終了するとみなしたようです。


智仁親王は、幽斎を助けるために和睦をすすめるための使者を何度か派遣しますが、幽斎はこれを全て「武士の本意ではない」と拒否


古今伝授も無事に相伝できた幽斎には何の憂いもなく、最期は武人として散る覚悟を決めていました。


 

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