三条西実枝の誤算
三条西実枝は前述した通り様々な手段を用い、細川幽斎に対して、古今伝授を実枝の息子である公国以外に相伝することを禁じました。
幽斎は実枝の死後、約束通り公国(きんくに)に対し古今伝授を行います。しかし、七年後に公国は早逝してしまいます。
公国の死後、幽斎は公国の子・実条(さねえだ)にも伝授を行いました。しかし、幽斎は公国への伝授が終了したあと、古今伝授に対する研究を進め、自分のもつ三条西家流の古今伝授と他流の古今伝授とを一つにまとめあげていました。
そのため、幽斎の古今伝授は最早「三条西家流」とはいえず、己の古今伝授を後世に伝えるためには、後継者を三条西家以外の人間から選ぶ必要がありました。
幽斎には多くの弟子がいました。その中でも、権威と和歌の才能とを併せ持っていたのが後陽成天皇の弟である八条宮智仁親王でした。