八条宮家(はちじょうみやけ)

天正17年(1589年)、豊臣家に男子が誕生します。


秀吉は長年望んだ男子の誕生に大変喜びましたが、同時にある悩みを抱え込むことになります。


実は秀吉は前年、天皇家に願い出て皇弟の胡佐麿(こさまろ)を養子として迎えていました。


秀吉としては実子を後継ぎにしたい。しかし、軽々しく天皇家との養子縁組を解消するわけにはいかない。思い悩んだ秀吉は一つの妙案を思いつきます。


天正18年(1590年)、秀吉は胡佐麿のために新しい宮家の創設を天皇に奏請します。


その年の9月、秀吉の奏請は聞き遂げられ「八条宮家」の創立が新たに決定しました。


さらにその翌年、天正19年(1591年)八条宮家の当主となった胡佐麿に親王宣下があり、「智仁(としひと)」の名を賜ります。以後、胡佐麿は「八条宮智仁親王」と名乗り、八条宮家は後に京極宮、桂宮と名前を変え、明治初期まで存続していきます。
 

 

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